私もそうですが、会社や実生活では隠していても実はベジタリアンな人がたくさんいます。
ネット上での、いろいろな人の発言を読んで、共感しました。
日本にも純粋な人たちがけっこういるんだなーって嬉しかったです。
行動に移す、愛と勇気がある人たち。
日本中のベジ仲間たちの言葉を紹介します。
感謝というのは違うと思います。
動物に何かしてもらったならば、動物に感謝をしなければなりません。
しかし動物からは強引に命を奪っているので 命を奪ったら感謝ではなく、謝罪または懺悔でしょう。
肉ばかり食べる人が増えたら、あっという間に森林が消える
もっともっと金が欲しい、物が欲しい、自分だけはいい思いをしたい
そういう人が増えすぎるとどんな状態になるか容易に想像がつく
仔豚たちが生まれてすぐに母ブタの乳を必死に飲んでるのを見ると、この仔豚たちは人間に食われるためにすぐに残虐な殺され方をすることを知らずに生きようとしてると考えたら、胸が苦しくてたまらなくなりました。
牛乳も卵もたまに食べるくらいの高級品になればいいのに あの安さは命なめきってる
そういえば、俺が餓鬼のころ近所の友達の親父が鶏を家の前の狭いスペースで〆て解体してたのが子供心にショックだった。
なにか見てはいけないものを見た気がしてた、例えるなら黒魔術的な雰囲気をかもしていた。
それと独特の生臭い臭いが何週間も漂っていてそばに行くたびに吐きそうだった。
当時は汲み取り便所だったので臭いのは慣れっこだったんだが、そんな俺でも耐えられない生臭さだった。
本当のことなのか?大変ショッキングなことだ。
すべての人間の金と欲望を満たすためにすべての物が搾取されていく。
弱い立場のものが搾取され、虐げられる。
これが人間であったならそれこそ奴隷制度に他ならない。
牛を本当に食べる必要があるのだろうか、また、そのために飼育す-る必要性も本当はないのではないだろうか?
口蹄疫などの被害で家畜農家の悲惨さを伝えているがその根本たる犠牲者は牛につきる。
上は下を助けるのが普通だと思ってる
それなのに人間様が動物をいいように道具にしてるのが現実
気付いた人から見たら正気ですかな感じだろうね
(※補足:私は以前は肉を食べながらカエルを食べることに関してゲーっと思っていましたが
今では、お肉もカエルも虫もみんな同じゲテモノ食いに見えます。)
罪の意識を感じて己の行為に後悔するまでは、魚介類も好きなだけ食えばいい
(※悪いことだと分かってすると罪悪感という負のエネルギーが
心の奥にどんどんたまっていくということじゃないかと思いました。)
木の気持ちなど知るかと平気でぶった切り、虫を見たら殺虫剤をまき散らして
四つ足を食らい、平気で道端でも海辺でも山でもゴミを捨ててくる
そんな姿をご先祖様は何と思うだろうか?
(※戦争に負けた日本はアメリカ信仰に変わってしまった。
肉食になるのも必然で 自然に対する信仰(感謝)がなくなってしまうのも当然ですね。)
食の文化と遺伝子レベルでの体の違いとか全部無視したとして、そこまで長生きしたいのか?
動物の屍の上に乗って長生きしたいのかな。理解不能。
(※長寿の人は肉を食べているという話に対して)
※見つけたら随時追加していきます。