東京十社巡り、第四社目は「
赤坂氷川神社」を紹介をします♪
※こちらの写真は氷川神社公式サイトよりお借りしました。
東京十社じゃなかったら興味を持たなかったであろう神社。
しかしなかなか良いムードの神社です。徳川家と縁の深い神社のようです。
基本情報
- 名称:赤坂氷川神社(あかさかひかわじんじゃ) ※創建951年
- 御祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと別名…大国主命)
- 住所:東京都港区赤坂6-10-12
- アクセス:千代田線:赤坂駅
、日比谷線・大江戸線:六本木駅、南北線:六本木一丁目駅
、銀座線:溜池山王駅
、都バス:アークヒルズ前
、各駅より徒歩8分
- 参拝時間:9:00~17:30(たぶん)
- 電話番号:03-3583-1935
- webサイト:https://www.akasakahikawa.or.jp
こちら記事を書いたのは四番目でしたが、訪問したのは東京十社の中で一番最後でした。
日枝神社の近くなので、ついでに参拝すれば良かったのに、当時は東京十社を知りませんでした。
出雲大社東京分祠も近くにありますので、3つセットでご参拝すると効率よいですね。
★オススメコース★
六本木ヒルズ→出雲大社(六本木)→1kmほど(東京ミッドタウンを挟む)→赤坂氷川神社→1kmほど→日枝神社(溜池山王)
上記の位置関係になっています。さらに日枝神社の先に国会議事堂、皇居があります。
直接行くならダンゼン『赤坂』駅からがオススメです!!
二回目に行った時、表参道の最寄りっぽい六本木一丁目駅から行きましたが、ちょうど首都高が交差しているところで、複雑な歩道橋を渡らなくてはならないのですが、迷ってしまいました オススメできません。セット参拝の方、六本木駅から東京ミッドタウンを抜けて行く道もOKです☆
こちら一の鳥居です。
入り口はモノクロで地味ですね笑。(この後、鮮やかな景色が現れます)
一の鳥居には、大正時代に芝、麻布の氏子が奉納した旨が刻まれていました。
境内図をご覧ください。
赤坂から来ると二の鳥居が最寄りになります。
入って左側、 神輿庫が大きいですね~。(あれ、この灯籠地図に載ってないな…?) 自分が知らなかった神社なので規模が小さいのかと思ってしまいますが、お祭りもそれなりに派手にやっているようです。
※出典:赤坂日枝神社の公式サイトより。 あれ、神輿じゃなくて山車??なんか楽しそう~♪
赤坂氷川祭は9月中旬に行われています。HPの写真を見ると毎年違う山車が出ているようですね。
私が行った時には、社務所にも誰もいなくて、とても静かな森のような雰囲気だったので、このお祭りの賑やかそうな雰囲気はとても信じられません(笑)
地図右側(参道・社殿に向かって右側)にある「港区立氷川神社遊び場」はこんな感じです。
懐かしい雰囲気です!夕方に来たら子供がいるかもしれません。
参道・社殿に向かって左側のこちらは「九神社(くじんしゃ)」です。
かつて境内各所にあった天祖神社・春日神社・鹿島神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社の9社を合祀した神社だそうです。スッキリしたんですね~
氷川神社の神主さん?が分祀を集めるのが趣味だったのでしょうかね…?
googleマップを見ると、この辺に「今井城跡」と書かれていますが、現地には「浅野土佐守邸跡」と書かれた立て看板があります。おや?と思い調べてみると、この土地は江戸期に浅野土佐守邸だったのは分かっていて、その前は「今井城」だったらしいが、正確な資料がないそうです。
高台になっているのでそんな雰囲気もありますが、さらに調べてみると今井城は青梅にあるようでした。ん~不明ですね~。
※※ちなみに、 暴れん坊将軍こと徳川吉宗がこちらの社殿をこの地に建てる(1729年)前は、
氷川神社は赤坂見附駅近くの、赤坂不動尊の辺りにあったようです。※赤穂事件について調べてみると歴史がわかっておもしろそうです。
さて、左奥にある「2稲荷」を見てみましょう。
こちらは山口さんの家からと桶屋さんから、戦後に遷したもので、さきほどの九社は戦前に合祀&別の場所に置かれたものが、戦後に氷川神社境内に移されたそうなのです。九神社が合祀された時にこの2稲荷はまだなかったのですね。この2つの
由緒は不明だそうです。
民家の庭などに小さな神社がある家をよく見かけますが、この2稲荷はきっとそれですね。民間人が作ったものは資料など残っていないでしょうし。山口さんも商人だったのだと想像できますね。その後子孫が管理しきれないとかその土地を使いたいとかで、遷したのでしょう。
ところで会社などが新しく神社を建てることがありますが、後の人が壊しにくいのでやめた方が良いと思います
今後、こういうのがどんどん集まって収集がつかなくなってしまわないかしら…。
こちらは、桜門を左側より撮影しました。
瓦を重ねて作った
築地塀と木漏れ日が良い感じでした。
撮影は12月ですが、境内は緑がたくさんありました。
表参道2個めの鳥居(三の鳥居かな?)正面です。
鳥居の奥に桜門、さらにその奥に社殿が見えます。
手水舎です。
あれ、ここも
三つ巴ですね!?
でも、
大宮の氷川神社は八幡様ではなく、神紋も「
八雲」でした。
私は今回この家紋を見るまで、ここは大宮の氷川神社の分祀だとばかり思っていましたが、赤坂氷川神社のHPにはそのようなことは一切かかれていませんでした!
一応、
大宮の氷川神社は、全国の氷川神社の
総社で、
武蔵一宮(武蔵野の国で一番社格の高い神社)と言われています。歴史も2400年以上あり、
勅祭社です。
赤坂氷川神社のHPには、勧請されたとはなく、「
暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、」だけです。なぜ祀られたのか、書かれていないのですよ。
そしてWikipediaには、
天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見たと書かれていました。
さらにもっと調べてみましたら、以下のことがわかりました。
平安時代中期、近江国の蓮林僧正が東国修行に訪れた際、夢の中に老人が現れ、「私はずっと土の中に埋まっている者だ。掘り出してくれたら守護神になろう」と告げた。すぐに蓮林僧正が周辺を探したところ、金色に輝く地面があり、掘り起こしたら十一面観音像があらわれになった。そして、一ツ木の台地(現在の赤坂一丁目辺り)に、その仏像を祀ったのが創建と伝えられている。
それから約100年後、関東に大干ばつが発生、降雨を祈願するとそのしるしがあり、地域の住民から氷川大明神が崇敬されるようになったそうです。
ここからは赤坂氷川神社様に直接お問い合わせをし聞いた内容ですが、やはり詳しい資料が残っておらず、
確実な説がないのだそうです。
もともとは
出雲から関東に移住してきた人が大宮に作ったのが始まりという説が有力だそうです。
その後、水神として氷川神社が関東に広まっていたそうです。(この神社は大宮の分祀)
赤坂氷川神社は、大宮氷川神社の分祀ではありませんが、干ばつの時にご利益をいただいたので
「これは氷川大明神様のご利益に違いない」と言われるようになって祀ったそうです。もともとはお寺(現代のお寺とは少し違います)で、その後は神仏が融合していたけれど、
神仏分離令(1868年)でお寺関係のものはすべて持ち出されたそうです。
※お寺では昔は仏像を祀っていた。
神紋はなぜ三つ巴なのかは不明ですが、ずっと昔からこれなのだそうです。
歴史も調べるとおもしろいですね。
先に進みま~す。
桜門(二階建て(重層)になった門)を入り、左手には宮神輿庫があります。
どちらの神社も厳重に管理されていますが、盗む人なんているのかな?
重いし、いらない・・・でもこち亀で両さん(少年時代)が持ち出してましたね(笑)
※赤坂神社の話ではありません
右手には社務所があります。
本当に誰もいない・・・。なんて治安が良いのでしょう。
社殿でございます。
こうして同じ構図で比較すると、一番最初の写真はどんなカメラで撮影したのか、気になります…。HDRの機能が効いているのでしょうが。。ちなみにこちらの私の写真はスマホです。
社殿の中には、天井や壁にさまざまな絵画があるらしく撮影させていただきました。
撮影禁止ではなかったけれど、立入禁止でしたので、遠くてよくわかりませんよね。
HPにも載っていますが、現地でぜひ実物をご覧になってみてください。