私はSNSはあまりやっていませんが(たまにツイッターのみ)、時々、真実かどうかわからない情報がシェアされているのを見かけます。その事について友達に意見を求められると困ってしまいます。ネット上には真偽のわからない情報が多いので、何を信じるかは自己責任です。安易に意見を述べたりシェアしたりするのは難しいと感じています。
政治と宗教の話題はタブーだと言われていますが、今はそこにコロナも入りました。何か意見を求められても私はノーコメントです。私は神じゃないので、わからないことはわからないです。医者や科学者でも分からないと言っていることならなおさらですよね。
人々は情報のどれかを選んで信じて、憤慨したり批判したりしていますね。
その人達は、なぜその情報を信じようと思ったのでしょうか?
おそらく、その情報が身近にあったとか、たくさんの人が言っているとか、信頼してる人の情報だとか、いろいろと信じるきかっけはあったのだと思います。
では、私は何を信じているのだろうか・・・
考えるのが面倒で放棄しているわけでもないし、何もなかったかのように無視して生きているわけでもありません。
そこで今回、自分を振り返ってみました。
私は普段から人の心理を分析する癖があります。
職場の人間関係や恋愛関係で、相手を理解して上手くやっていくために必要だと思うので論理分析します。自分と違う人間を否定して批判するだけでは何も変わらないと思うので、知りたいのです。
最近考えていたのは、人が人を批判する心理です。
いくつか可能性を考えてみました。
1)誰かを批判することによって自分はそんな人間ではないと周りにアピールするか、自分で自分に言い聞かせている。(自分と違う人間を見て、自分の方が間違っているのではという不安からか?)
2)正義感による。自分と違う人間を自分のように変えたいと思っている。
3)批判する自分がかっこいい
4)単なるストレス解消
5)ただディベートが好きなだけ
上記はネットでも調べましたが、状況にも寄るかと思います。陰口を言っている時と、面と向かって相手を批判している時では、別の心理が働くかもしれません。
このように常に誰かを批判していないと自分を保てない、自分を肯定できないような人だと常に敵を探してしまいます。
B'zの「
敵がいなけりゃ」という曲がありますが、とてもおもしろいです。
他人を叩いたり責めたりしている自分がかっこいい、と思ってる人の歌で、敵がいないとやっていけないそうです。その人は体制に背を向けたりブームをせせら笑うとの事です。
稲葉さんも、人の批判ばかりしている人を見てこの歌を作ったのかもしれませんね。世の中をよく見ているなと感心してしまいます。(稲葉さん当時31歳)
こういう人は、SNSのある情報を信じたから、ではなく、何をやっても政府を批判するのだと思います。どんな政党が政権をとっても、永遠に批判し続ける気がします。まるで反抗期の子供が、親の言動のすべてが気に入らないと感じるように。
先程少し話したように、神でもなければ分からないこの世の真理について議論するのは、私は無駄だと思うので好きではありません。自信満々に自分の信じていることが正しいと言って相手を批判する人がいますが、これは答えを導くための前向きな話し合いではなく、ただ相手を批判して自己満足を得るために利用されているだけなので相手にしてはいけません。
このような議論や、昔で言うチェーンメール(今は拡散とかリツイートとか言うのでしょうか?)も、自信満々な態度や偉ぶった口調に乗せられそうになりますがスルーしましょう。
彼らはシェアする内容の信憑性はどうでもいいのです。政府や世間を叩けるような、少しでも揚げ足を取れそうな情報があったら重箱の角をつつくように発信するのです。その情報にはおかしな点があったりするので、用心深く受け取ってください。
しかし、すべての発信者がそうだとは言いません。
本当に正しいことをみんなに広めたいと思って善意で頑張っている人もいます。
でも、私達には区別ができませんよね。
そんな時、私はどうしているかと言うと
どれも信じないことです。
しかし、すべて疑って情報を排除しているのとも違います。
信じすぎないこと、
盲信しないことです。
自分の中の理屈で判断して、この情報は信憑性何%くらいかなと、ぼんやりと頭の片隅に保存します。これは100%嘘ではないけれど、揚げ足取ろうとしてるだけだな、と思う時もあります。
そこで大事なのは、その議論の中に身を投げ入れないことです。
遠くから眺めている感じです。
苫米地流に言う「抽象度を上げる」に近いですが、自分が別の高次の存在になったつもりで高い視点で、と表現しても良いですし、
別の視点からこの世界を見てみることです。
例えば、自分はすでに死んでいて、自分が過去に生きてきた歴史を眺めている状態だったと仮定してみたり
例えば、自分は別の星から地球のアセンションを助けるために派遣されてきた異星人だと仮定してみたり
例えば、自分は緑色の顔をした神様で神殿から地上を覗いているかもしれません
そうすると、地球の進化をさまたげているものが見えてきます。
人々を対立させて分裂させている物や考え方、このままだと戦争になるような「小さな対立の芽」が地球上にはたくさん散らばっています。
地球を遠くから眺めていると、地球上にはどこにも敵が存在していないのだなと思います。人類みな兄弟というように、地球人はみな仲間なのですよね。みんな神の子、みんな尊い存在なのです。
ウイルスでさえ、地球の進化にきっかけを与えてくれている存在です。今回の出来事によって、電子マネー化やAI化が進みました。それは必然だったのだと思います。
もし、地球の進化をさまたげようとしている闇の権力が存在するとしたら、今何をしていると思いますか?
私は、世界を分裂しようとしていると思います。
この分裂がどんどん進んでいくと戦争に発展します。
そうならないように地球人たちは、今日まで「愛と調和」を育ててきました。おかげで、何十年も戦争が起こっていませんね。(紛争はあるけれど・・・)
私が信じているのは、あの情報・この情報という特定のものではなく「
愛と調和」です。
何が正しいかわからないことについて議論していても人同士の気持ちが離れていくだけです。それよりも、不安になりやすい人や持病を持っている人・高齢者など、守らなきゃいけない人を守ろうと思う「
愛」と、正解がわからない中で何ができるか考えて実践していこうと一致団結する「
調和」の精神を大事にすることです。
(注:真理ではなく私が信じていることの紹介です)
SNSの書き込みを見ていると、私達を分裂させようと闇の勢力が操っているのではないかと思ったりもします。その手には乗らないぞ、と強い気持ちで、世界中のみんなが心をひとつにして支え合える地球になる、その進化の途中段階に、今いるのだと考えています。
その中でできることは、「愛と調和」の気持ちを忘れないことですね
愛と調和のために、正しい情報を広めるのが正解だという考えもあるかもしれませんが、私の場合は「自分の精神状態を「愛と調和」に波長を合わせること」を意識しています。どんな人に対しても思いやりを持って、批判・対立をしない、そんな日々を送ることです。
ちなみに、緑の顔の神様のネタが出てきたので、抽象度を全王様にまで上げてみました。全王様の視点で地球を見てみたら、地球の存在自体、あってもなくてもどうでもいいですねー(笑) 地球上で誰かがマスクについて議論していることがとても小さく感じました。→
全王様とは ※超全話見ていないので実はあまり詳しくありません