とても有名な本で、原題は『AS A MAN THINKETH』。
聖書に次いで一世紀以上ものあいだ多くの人々に読まれつづけている
驚異的な超ロング・ベストセラーの本です。
4巻まであるのですが、今回は1巻から私のお気に入りフレーズを紹介します。
人は誰も、内側で考えているとおりの人間である
これが、この本の基本です。
どういう意味なのでしょうか?
これから具体的に紹介していきます。
なかでも人格は、私たちがめぐらしているあらゆる思いの、完璧な総和です 普段から考えていること、思いが人格を作っているということです。
気高い神のような人格は、神からの贈り物でもなければ、偶然の産物でもありません。
繰り返しめぐらされつづけた、気高く、正しい思いの、自然な結果です 思いが人格を作るのですから、今持っている人格は自分次第ということですね。
神のような素晴らしい人格でさえ、特別な人だけが、生まれた時に与えられるわけではなく
いつも考えていることが作っているだけなのですね。
人間は自分の人格の製作者であり、自分の環境と運命の設計者である
人格だけでなく、環境と運命までも自分次第。
「人格」の話は、考えれば当たり前のことだけど、「環境と運命」も??
引き寄せなのでしょうか。
私たちの環境を構成しているさまざまな状況は、どれもがみな、それぞれに、私たちの人格を構成する特定の重要な要素のあらわれである。
そして、それらの状況のすべてが、私たちのその時点以降の進歩にとって、決定的に重要なものなのです。
周りの環境は、思いがあらわれた結果なので、それを見れば自分がどのような「思い」の癖(=固定観念)があるのかを知ることができます。
「自分が不幸なのは環境が悪い」と思うのは間違いで、原因は思いにあるのだから、環境をを変えたかったら、まず「思い」を変えることなのですね。それが未来の自分の進歩につながるので、今の不幸な環境も大事だといえます。
私はさっさと環境を変えてしまうタイプですが、努力はしますので学びにはなります。
私たちは、進歩し、進化する生き物であり、どんなときにも自分が学び、成長を遂げるために最適な場所にいます。
自分のいる環境(自分の思いが作った環境)は、自分が成長するためにベストな場所なのです。
辛い時に愚痴るよりも、「どんな固定観念があるか」気づく必要があります。
自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、「環境は思いから生まれ出るものである」ということを熟知しています。向上心のある人は気づいているのですね。
ついつい人のせいにしてしまいがち。
かといって自分を責めるのは違いますよ。お間違いなく。
真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。
「あらゆる悪いものを取り払い」って良いですね~。
この世の邪悪なものや自分の中の邪心がなくなればいいといつも思っています。
自分の心は自分次第なので、意識して綺麗なものだけで心を満たしてピュアでいたいです。
私たちの魂の総合的な状態を、私たちの人生の外面的特徴のみから ほかの誰かが知ることは、とうてい不可能です。
人のことをあれこれ想像して噂話をしたりしても意味がないです。
その人のすべての人生と心の中を見ていないのだから、誰も評価する権利はないということです。
犯罪を起こす人も、寂しさとかストレスとか色々あるんですよね。批判するのは簡単だけど。
「あまりにも善人すぎると、苦悩が絶えない」 などという迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。 善人すぎる経験をしたことのない人が、善人すぎるとどうなるとは言えませんよね。
善人になれない人の言い訳にすぎない、ということなんですね。
実際は、苦悩ではなく幸福が待っているのだと思います。
恐怖や疑いに満ちた思いは、優柔不断で臆病な生き方として、つづいて、失敗や困難に満ちた環境として姿をあらわします。
思いが生き方や環境として現れる具体例です。
「悪い思い」というと、恨みとか意地悪な考えかと思いましたが、恐れや疑いもNGなのですね。
怠け心は不潔で不正直な生き方として、つづいて、よごれた貧しい環境として姿をあらわします。
こちら、耳が痛いです…。
私は努力家と思われがちですが、気ままな一人暮らしで人より楽な生活をしていると思います。
心身の健康ためにこの生活を選びましたが、「怠け心」と言われたら、そうとも言えるのかな…??
敵意に満ちた意地悪な思いは、つねに他人を非難する生き方として、つづいて、不安と恐怖に満ちた環境として姿をあらわします。
私は争いごとが大嫌いで、誰とでも仲良くしたいです。大げさに褒めるのが楽しいです。
でもあまり仲良くすることが重要でない人もいます。その人は楽しさよりも「正しさ」が大事で、中間を取ることができないようです。だから、全員と仲良くしたくてもできないのが悲しいです。
あらゆる利己的な思いが、身勝手な生き方として、つづいて、敵ばかりのいる環境として姿をあらわします。
自分のことばかり考えていると、上記のような人が現れるということでしょうか。。
「あらゆる利己的な思い」 と言っているので、「自己中」にも色々とあるんですね。
悪意、皮肉、疑い、羨望などで心を満たしつづけているとき、
人間は、みずから創りあげた牢獄の中に、みずからを閉じ込めているようなものです。
これも、環境や状況は「自分の蒔いた種」、「自業自得」と言っているんですね。。。
つねに愛に満ちた思いをめぐらしながら、あらゆる人に好意を抱き、あらゆる人と楽しく接し、忍耐をもって、あらゆる人の中に良いものを探し続けることは、天国への王道です。
この文章大好きです。
これからの生きる目標にしようと思います!!
虚弱な肉体をもつ人間が、それを忍耐強いトレーニングによって強化できるように、虚弱な心をもつ人間も、それを、正しく力強い思いを意識的にめぐらしつづけることによって強化できるのです。
意識して継続すれば思った通りの人生になります!!!
今回は文字ばかりの記事になりましたが、こちらをメモ代わりに、今後も忘れないよう、時々読み返したいと思います。
ちなみに、コミック版もあります。
読みやすいかと思いましたが、私がピックアップした部分とは違いました。